3:30に目が覚め、4時過ぎまでうとうとし、6時前半に起床。
点滴を外してもやっぱり寝れないらしい。
朝早く担当医を挨拶をする。二度とここには戻るまいと胸に誓う。
動画編集などして7:50ごろ朝食。
これも最後の病院食だ、と思うとトレーと向き合う気持ちもちょっと引き締まる。

<朝食メニュー>
・全粥350g
・竹輪と里芋の煮付け
・味噌汁
・練り漬物(うめびしお)
全粥の重みがすごい。スプーンですくっただけでこんなに重みがあるとは。
お粥は350gもあったので、半分残す。
普段でもこんなに米は食べない。なぜこんなに大盛なのかなぞだ。

竹輪の煮物はまあまあの味、里芋はほとんど溶けている。
竹輪自体が味が付いており、煮付け自体の味付けいかんに関わらず食べやすい。
これはお粥でなければ、ごはんのおかずになるだろう。

出されたものは残さず食べる美学だったが、今後は残すということも視野に入れていこう。
僕の胃袋はダストボックスではない。
退院手続きをして、妻の迎え、やっと日常へ
退院の片付け、動画編集をして退院の時を待つ。
10:30過ぎに退院の手続きへ。
預かり金を引いた、残額をクレジットカードで支払う
治療費、部屋代、食事などで全部で27万円くらい。
けっこう高いな・・
病院の外へ出て、しばし妻の車の迎えを待つ。
11月下旬に入院した時から、かなり寒くなっている。
病院の入り口付近が混雑していたとのことで、40分くらい待ち11:20に出発。
「昼ごはんは何がいい?」と聞かれるも、「野菜が多めにとれるもの」としか考えられず、ラーメンチェーンへ寄って、帰りにラーメン野菜味噌ラーメンを食す。
退院後一食目にしては、いささか多かった。
病院食を食べていたから、さぞかし感動的な美味しさだろう、と思っていたけど、そうでもなかった。
絶食6日直後の、塩味の重湯が一番感動的な美味さだった。
これに変わる感動というのは、もう味わえないのかもしれない。
帰宅して、しばし身辺を整理。
子供たちが帰ってきて、感動の再開かと思いきや「お!おかえり」程度で、すぐに遊びに出かけてしまった。
あとで話をしたが「パパは平日ほとんど家にいないから、あんまり違和感なかった」とのこと。
外で身を粉にして働く父親とはそんなものか、となんだか考えさせられた。
時間があったので、薬局で整腸剤を買ったり、車で買い物に出かけたりした。
絶食治療だけで、手術をしたわけでもないので、出かける体力は十分にあった。
唯一、ベッドかどこかにぶつけた足だけが少し痛んだ。
明日からは通常通りに出勤する予定、と会社には伝えてある。
今週くらいはリモートで様子を見ても良いのでは、と優しい言葉をいただいたが、特に疲れとかもないので、できるだけ早く普段のルーティンを取り戻したかった。
大腸憩室炎を振り返って
今回の入院までの件をざっと振り返ってみたい。
僕は医師ではないので、専門的なことは書けないが、まず右腹部に痛みを感じた時点で、次からは食事を止めて、病院に行きべきだと思った。
ちょうど土日だったので、病院はしょうがないが、違和感を感じつつ、普通に飲食を続けていたのもまずかったと思う。
担当医に聞いた話だと、今回はけっこう酷かったので入院してもらったけど、必ずしも入院は必要ないとのこと。
大腸憩室炎は再発する病気なので、それは頭に入れておいてほしいと言われた。
予防策はないとのことだったけど、整腸剤と食物繊維はちゃんと摂るようにしたいと思う。
酒は関係ない、とのことだったけど、これを機に飲んで爆食いはやめないとな、とも思った。
今回の入院は、若い頃から酒を飲んでは暴食していたことの、警告と罰であったのだろう。
正直、肝臓や膵臓にダメージがあるんだろうな、とは思っていたけど、腸はノーマークだった。
大腸カメラも勧められたが、ちょっと怖いけど今後はそういう検査も受けていきたいと思う。
40代後半に近づき、入院生活とは無縁の生活を送っていたわけだが、今回身をもって色々考えさせられた。